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仕事と趣味
仕事というのは良い環境であれば「やりがい」「使命感」「責任感」「楽しさ」など精神的にも充実した仕事環境・職場環境が生まれてきます。でも、職場環境に恵まれなければ全てがストレスの根源になってしまいます。この様な時に考える要素としては転職という選択をして職場環境を変えるのも今の時代として当たり前の選択であって良いと思います。
そして、タイトルにある「仕事と趣味」という意味ですが「趣味を仕事と考えましょう」「仕事を趣味と考えましょう」という考え方です。
この言葉は、私がブログのテーマを考えていた時に降ってきた言葉でありネットなどで探してきた言葉ではありません。
この言葉の意味を解説しますが「趣味を仕事と考えましょう」という言葉の意味は趣味を仕事と考える事で「やりがい」「使命感」「責任感」「楽しさ」の全てが整い理想の職場環境が生まれ精神的な意味合いに関してもストレスとは無縁の素晴らしい職場環境が生まれてきます。
そして逆に、「仕事を趣味と考えましょう」という意味は仕事を趣味と捉えることで肩の力が抜けた状態になり悪い意味での使命感などの悪い要素に対して無駄な力が抜ける事で仕事の効率性が上がり結果として仕事も趣味もバランス良く楽しめるのでは無いかと思う訳です。
私は、仕事に恵まれて来たのか自分にとって「やりがい」「使命感」「責任感」「楽しさ」が全て揃った環境で仕事をして評価されて来ました。
仕事自体は趣味のような感覚で楽しんで仕事に取り組めましたが職場環境という意味では人間関係上のトラブルに巻き込まれてしまう事や上司との関係性などの人間関係の問題は避けて通れない要素でした。本当に仕事は楽しかったので睡眠時間を犠牲にして働いたりもしました。
そして、使命感という要素で上司から求められる要件に対して結果を出す事でハードルは更に高くなり結果的に精神疾患を患うキッカケになってしまいました。
まぁ、ハードルと表現しましたが最後はハードルというよりも上司の仕事まで私がやっている状況にあったという感じです。
これは「仕事を趣味と考えましょう」の意味を理解出来ていなく「悪い意味での使命感」「悪い意味での責任感」が生まれた結果になるのだと思います。「仕事を趣味」と考えた時に「趣味なら体調の悪い時は中止する」「趣味なら楽しめない事は取り入れない」「趣味なら無理しなくて良い」と考えることができ「断る事も」「中断する事も」「休む事も」選択肢としてあるべきだったと今なら思います。
私は、結果的に「仕事を趣味と考えましょう」ではなく「仕事は仕事と考えましょう」という発想で仕事をした事で「仕事だから仕方ない」というような発想の下で「断る事もせず」「休む事もせず」ボーダーラインを超えてしまったのだと思います。
「仕事は仕事と考えましょう」の考え方が「仕事だから仕方ない」の考え方を生み出した結果が私の場合は精神疾患だった訳です。
「仕事を趣味と考えましょう」というスタンスでは「仕事だから仕方ない」という要素は生まれません。「趣味なら無理な時は中止しよう」「趣味なら無理な時は休もう」と考え方が出来たと思います。ある意味では私の実体験が生まれた言葉かもしれません。
だからこそ、「趣味を仕事と考えましょう」「仕事を趣味と考えましょう」という考え方をする事で仕事に対する考え方をシフトする為のベースになる言葉だと思っています。
この言葉は、私の考える働き方でありボーダーラインを超えない為の考え方だと思っています。
教育とは何か?
今も昔も教育方針は違う形に変化してきていますが基本的には文部科学省が決めた方針を教育委員会も盛り込まれ各学校の校長の意見が加えられ現場の教師が生徒と接する訳ですが現場の教師が自分の個性や自分の考えなどを教育現場で活かしたくても活かせない正に縦割り社会の象徴なのが学校という教育現場の実態だと考えています。
そして、校長などを務めている管理職には天下り先として学校カウンセラーや公立のフリースクールの指導員や教育委員会に対するアドバイザー係的な組織が設置されていたりする地域もあり本当に学校という子供が学ぶ場であるはずの組織も未だに古き時代の官僚組織と同じです。
子供達の教育という要素を利用した公務員の悪い組織体系が残っていますし天下りという意味で退職後も仕事が用意されていれば変革しようと考えている人だって結局は甘い話に乗るのは仕方ない部分なので変わる事のない要素だと思います。
話を変えますが、学校で子供たちが学べる事は確かに多くあります。友達との交流で生まれる言葉の使い方や相手の気持ちを重んじる心や人間と人間が関わる上での最低限のルールを学ぶには最適な場所だとも思いますが本当に教育現場で学べる事かと問われると違う気もします。
更に言えば、学校のような団体行動を求められる訳ですが団体行動に馴染める子供もいれば団体行動を苦手とする子供もいる訳でこの要素に関して団体行動が苦手な子供に対する教育方法というのは団体行動に馴染める子供とは違う教育があると思いますが個性を認める尊重すると言いながら全く変わっていない要素です。
そして、例えば授業中にスマホなどでゲームをする生徒がいたと家庭した場合、教師は「授業中にゲームをするな!」と怒る教師が多いと思います。もちろん、この対応が間違えているとは言いませんが私なら「授業中にゲームしてどうした?」と聞きます。ゲームはダメというのは簡単ですが何故ゲームをするのか?を確認する事も大切な要素です。このゲームをするという行為の裏にストレスが隠れている場合も多いと思います。
「前の授業で嫌な事があった」「家で嫌な事があった」「登校時に嫌な事があった」色々な可能性があり良い学校生活や良い学習をするために必要な気分転換である場合も考えられます。ストレスを溜めない学校生活という要素で5分とか10分と時間を区切って教室とは違う場で対応するのが一番良い方法ではないかと思います。
私の意見として学校に保健室があるのと同じように気分転換室があっても良い時代になっていると思います。もちろん、使用出来る時間を決める必要があると思いますが教師が認めた場合に15分間は気分転換目的でゲームやテレビを見ても良いですよ!という意味合いで使用する教室があっても良いと思います。
登校拒否の多くは学校という組織に対して大きなストレスがあるから登校拒否になる場合も多いと思います。子供を教育する現場が子供にストレスを与える現場であるというのが現状だと思います。子供にストレスを与える教育現場で本当の学習が出来るのか?疑問にも思います。
学校以外でも人間関係を学べる場は多くあると思いますし最低限のマナーやルールを守る学習を出来る場も学校以外にもあります。
学校に行かないという決断は悪ではなく逆に学校では学べないことを学ぶチャンスもあると捉えて考えると学校生活で学べることよりも多くの経験が出来る可能性を秘めています。
ココアやチョコレートはストレス対策に有効
ココアやチョコレートを適量摂取することはストレス対策として有効な効果があります。
特に、カカオの含有量が多いココアやチョコレートを選ぶ事で気分の改善やリラックス効果が得られる事が分かっっています。
ただ、適量という範囲の話でありココアやチョコレートは砂糖なども使用されていますので大量に接種すると糖尿病や他の疾患を発病するリスクもあります。
また、精神疾患で薬を飲んでいる方も注意が必要になります。
ココアやチョコレートに含まれるカカオ成分には幸福ホルモンと言われているセロトニンの分泌を促進する作用がありストレスの軽減効果やリラックス効果があります。また、マグネシウムにもリラックス効果がある為ココアやチョコレートを適量摂取することでストレスの軽減につながります。
更に加えると、ココアやチョコレートにはポリフェノールが含まれていてポリフェノールには脳内の血流を促進する作用がありリラックス効果やストレスの軽減と抗酸化作用もあり健康促進にも繋がります。
ただ、私が適量と言っている理由は他の疾患を患う可能性がある事もありますが一部でチョコレートに依存しすぎてチョコレートが無いと不安感を覚える人も増えていますのでココアにしてもチョコレートにしても1日1個とか1日1杯とか決めて摂取してください。
そして、寝る前にココアやチョコレートを摂取する事はお勧めしません。理由としてはカカオ成分の中に少量のカフェインが含まれているため睡眠の向上という意味で推奨されているのが寝る寸前ではなく3時間から4時間前にココアやチョコレートを摂取する事で睡眠の質も向上すると言われています。
最近は、カカオの含有量の多いダークチョコレートはスーパーやコンビニなどで販売されていますがココアに関してはカカオの含有量の多いココアはあまり目にしないので普通にスーパーなどで販売されているココアであればカカオの含有量も少ないと思いますので寝られない時などにココアを飲むというのは悪い事だとは思いません。チョコレートに関してもカカオの含有量の少ないチョコレートであれば眠りを妨げるほどのカフェインによる影響は少ないと思います。カカオの含有量が多いほどリラックス効果やストレス軽減効果は高いとされていますがカカオの含有量が多いほどカフェインも多くなります。
ただ、ココアやチョコレートに頼るだけでなくストレスケアという意味合いで気持ちを切り替えるために映画を観たり音楽を聴いたり気分転換を取り入れる事も非常に大事な要素になってきますので自分自身が楽しめる要素を生活の中に取り入れる事はココアやチョコレートを摂取するよりも重要な事です。
ココアやチョコレートというのは効果があると言われていても実際にチョコレートを食べたからリラックス出来たと実感する事は難しい事です。ですので、一番大事なのは実感を伴うリラックス法というのが一番大事で「映画を観る」「音楽を聴く」「お風呂でリラックスする」など実感出来るリラックス方法の方がストレス対策としては有効ですので実感するリラックス方法や気分転換方法と組み合わせる形でココアやチョコレートを摂取するのが一番良い方法だと思います。
フジテレビの問題に関しての意見
フジテレビの問題の大きな部分は「性加害問題が発生し当該女性への配慮という形で当事者である人気タレントの番組出演を依頼し続けた」事と「当該女性への配慮という理由で一部の関係者しか知らない限定的事案とし揉み消そうとしたのではないか?」という2点が現時点では主な問題になっている部分だと思います。
その問題に付随しているのが「フジテレビの社内風土として会食の席で女性社員を同席させてコンパニオンのような接待行為が行われているのではないか?」という部分も重要だと思います。
テレビ局や番組制作会社がタレント自身や芸能事務所などの関係者を接待する事は悪いことでは無いと思いますし普通な事だと思います。また、会食の席に女性社員を同席させる事自体は全く問題では無いと思います。
しかし、女性社員をコンパニオンのような接待要因として同席させているという事であれば話が変わりコンプライアンス的に問題になる行為だとは思います。もし、コンパニオンのような接待が必要であればプロのコンパニオンさんを依頼するべきであり女性社員に求める事柄ではありません。
問題は何を目的に仕事をされているかでありテレビ局に属する社員が接待要員で仕事をしているのかと問われたら普通は違うと思います。
女性にしかできない仕事というのも実際にありキャバクラで働く女性もいれば風俗やAV女優として働いている女性も多くいますが風俗やAV女優だからといって性的接待を求める事は許されることでは無いという部分です。
そして、どんな経緯があったのかは別としても性加害問題を報道機関であるフジメディアグループとして相応しい対応だったのかも疑問が残ります。
この、フジテレビの社内風土を作ったのは日枝久相談役ではあると思います。
例えば、女性アナウンサーはルックスを重視する風潮や女性アナウンサーにコスプレや水着姿での番組出演を求めるなど風土が今での残っている事は事実だと思います。
他にも、ドラマ制作に力を入れてドラマのフジと言われる時代を作りバラエティー番組制作にも力を入れながら報道番組も美人アナウンサーを起用し芸能情報や色々な特集などを取り入れた形に変貌させたのは日枝相談役の手腕であり今の放送業界全体に影響を与えたのも日枝相談役の実績であり今のフジテレビは日枝相談役の存在ではあります。
話を戻して、日枝相談役が今回の一連の問題に対して認識していた可能性は分かりませんが社長と会長を辞任させたのは日枝相談役だと想像出来ます。1回目の会見をクローズドで定例会権の一部のような形で進めたのも問題を大きくしないようにする為の措置だった可能性もあり日枝相談役の言葉の有無に関わらず経営陣が日枝相談役を意識していたとは思います。
放送業界を変えた人物であり政治家とも太いパイプのある日枝相談役なので日枝相談役は事実上の生涯雇用であり読売グループの渡邉恒雄さんの存在と同じです。
日枝相談役が作り上げたフジテレビとも言えますが古い風土から抜け出させいないのもフジテレビの社風だと思います。
その結果として、番組の視聴率も停滞してしまい新鮮さや斬新さも消えてしまっているのがフジテレビの番組で個人的な意見として好んではフジテレビの番組を観ないのも事実です。
その様な要素を考えると当該女性への配慮というよりは人気タレントが出演する番組の継続を選択したと考えるのが普通な認識だと思います。
無駄に10時間以上続けた会見でも肝心なことに対しては当該女性への配慮を理由に答えないという悪い意味で素晴らしい会見だったと思います。
本当に会社として当該女性の人権を守る気があるのであれば当事者タレントに対して抗議をしっかり行い謝罪を求めた上で番組を降板させ一定期間は出演させないなどの措置をとる必要があったと思います。
だからこそ、当該女性への配慮という形で揉み消そうとしている様にしか感じられなくなってしまう訳です。
私たちは、被害者である当該女性の意見は聞けない訳で女性側が今の対応で良いなら勿論尊重するべきだし今の対応がダメだと言っていても私たちは分かりません。
10時間も会見を行なっても1番の問題は一連の問題プロセスとして「当該女性が納得した上で進めた結果なのか?」が問題になる訳です。
ロックなピアカウンセラー
私は、精神疾患を患ったピアカウンセラーであると共に音楽家でもあります。
更に言えば、音楽療法カウンセラーやミュージックアドバイザーの資格もあります。
さて、ロックなピアカウンセラーとは私が作る音楽の多くはロックなサウンドになってしまう傾向が強いという意味でロックなピアカウンセラーとタイトルを付けました。
私は、色んな人に作詞をする事の重要性を話したりしました。作詞といっても誰もが簡単に音楽制作をする様な作詞ができる訳ではなくポエムや単純に言葉を箇条書きにしてもらうなど色々な形で自分自身から生まれてくる言葉をまとめて貰い最後に私が音楽制作可能なAメロ・Bメロ・サビの様な感じに描いてもらった言葉を並び替えるとロックな歌詞になる事が多いという結果になっています。
もちろん、私自身ロックが好きで自分で作る音楽もロックサウンドが多いので私の手直しが影響している要素はあると思いますがデイケアで精神疾患を抱えた人に書いてもらった言葉を歌詞にすると90%ぐらいはロックな歌詞に仕上がります。
私も、精神疾患を患っているので理解出来ますが日本社会に対する不満・家族関係での不満・自分自身への不満など精神疾患を患う事で社会生活から逸脱して社会の隅に追いやられていく様な感情になる事も多く私自身にしても同じ感覚であった時期もありましたので理解出来る大事な要素です。
高校野球を例として表現するとエースで4番しかもプロ大注目の選手が突然レギュラーから外れベンチにも入れない環境になった場合と同じです。その理由が「他の選手から嫌がらせを受けた」や「監督から嫌がらせ受けた」だとしたら、どんな感情になりますか?精神疾患を患う事による感情は本当に似た様な部類の精神状態に追い込まれます。
そんな感情の中で生まれてくる言葉は当然ロックな表現になっても不思議ではありません。
私自身が仕事ではなくプライベートで書く歌詞は確かにロックな印象の強い歌詞になります。ただ、仕事としてバラードも書きますしポップな歌詞も書きますし題材がある上で作詞をする場合もあり作詞と一言で言っても多くの方法もあれば言葉のテクニックなど作詞にも技術という要素もあるのでプライベートで書く詩がロックなのは自分の感情なのかロックが好きだからロックな歌詞になるのかは自分でもわからない要素です。更に、曲を先に書く場合と詩を先に書く場合では違ってきますので全て自分の心と対話して出来た歌詞かという意味でも違うかも知れません。
生活環境の中で本音を話せる人がどれだけいるか?と言われると皆無に近い訳です。日本は綺麗に着飾った良い部分は強調して誰にでも話します。が、寝起きでジャージやパジャマ姿で寝癖も化粧もしていない姿というのは誰にも話さない訳です。
ですので、自分の心の中にある言葉を探るとロックな言葉が多く出てきたりします。
今の時代は便利なもので、作詞とかを意識しなくても「X」や「Facebook」で気楽に自分の言葉を発信出来る環境があります。
私の知り合いにも「X」を利用し思い付いた言葉を書き込んで1日で20件とか30件という投稿をしている人がいます。
SNSを利用して心の声を吐き出すのでも良いと思いますしカウンセリングで吐き出すのでも良いと思いますが心の声は絶対に溜め込まず書くなり煮るなり焼くなりして処理をしていかないと大きな愚痴になり愚痴というのは大きなストレスの方減りになります。
ですので、自分自身の心の声は無視せず聞いた上でしっかりと処理することで愚痴というストレスの塊を小さく出来ますので心の声の良い要素と悪い要素を切り分けて悪い要素は吐き出す事が大事だと考えています。
吐き出す場がない場合はNEED ROOMで私に聞かせてください。